ポンプをが被爆していたと分かった後、駅前のBブロック再開発が始まりました。
ちょうど被爆ポンプがある辺りです。
被爆ポンプは、撤去される寸前となりました。
永原さんは、Bブロック工事中に
「被爆ポンプです 残して下さい」
と書いた小さなブリキの板と、原爆の日の前に折り鶴を捧げました。
しかし、開発工事はどんどん進み、永原さんは近所のお店の人や町内会、工事の建設会社などに話しをしましたが、とうとう道路を管理する区が所有者に、撤去を求める公告を掲示しました。
持ち主が名乗り出なければ撤去する。と。
再開発組合も保存の予定はないとの返答でした。
「あぁ、もうダメだ。助けることは出来ない。鉄クズで処分される運命。」
一人で保存活動をされていた永原さんはこれ以上どうしようもない。と諦めていたある日のことでした。
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